第1話 じゃりン子チエは神 <5>
バッグには絆創膏と消毒薬を常備
「美岬がね、自分も頑張るから千春も頑張れって言ってたよ」
中学校から帰宅した千春に三男が伝えても、返事はなかった。
姉が美人アスリートだということがバレるまで、千春は学校から帰ると一日の出来事を三男に話してくれた。幼稚園時代からの習慣で、小学生の間もずっと続き、中学生になっても変わらなかった。おかげで三男は千春の友だちや歴代の担任教師に詳しかった。
授業参観や懇談会にも必ず出席していたので、担任教師やクラスメイト、それに保護者たちも山田千春の父親である三男のことをよく知っていた。授業参観に来る父親は少しはいるが、懇談会にまで出席する父親は三男一人だったからだ。
美岬は引っ込み思案な子で、それに土日は都内の新体操教室に通っていたため、平日の放課後は家で静かに過ごすことが多かった。
一方、千春は親分肌で、友だちを引き連れて、雑木林を探検したり、河原でバッタやトンボを捕まえたりと暗くなるまで遊びまくる。三男が付き添っているので安心らしく、子供たちは多少の擦り傷はものともしなかった。三男のウエストバッグには絆創膏と消毒薬が常備されていて、携帯電話には毎日のように母親たちから感謝のメールが届いた。
雨の日は、友だちが家に遊びにきた。千春も3DSを持っていて、コンピューターゲームに没頭している間、三男は関わらない。やがてDSに飽きてリビングにやってくると、とっておきのゲームを出してやる。消える魔球装置のついた野球盤、サッカーゲーム、人生ゲームにコリントゲーム。昭和40年男が夢中になったゲームの数々は、平成14年生まれの千春たちにも大人気だった。
ただし子供たちだけで遊ばせていると、そのうちケンカがおきる。みんな負けず嫌いだからで、ズルをした、してないでもめたり、負けが続いてやる気をなくした子がいると、千春が助けを求めてくる。
「よし、おじさんはショッカーだから、みんなは仮面ライダーになって、かかってこい。イー、イー」
三男は子供たちのパンチやキックを巧みにかわし、一人ずつ捕まえて抱き上げてやった。
最近の子供を見ていてつくづく思うのは、人と遊ぶ経験の少なさだ。とくに勝ち負けがつく遊びをしていないので、勝てばただ大喜びをして、負けた子が悲しんでいても知らん顔。勝ちを譲ったり、順番を譲ったりできる子は千春くらいだった。
「ほら、千春と同じ歳の子が第一子だってことは、親の年齢は我々より10歳近く下なわけだ。昭和50年生まれだとすると、物心ついた時は1980年代だから、兄弟だって少なかっただろうし、そのうえ一人に一部屋あってという人たちが大人になって産んだ子供が千春の同級生だってわけさ」
三男が説明しても、莉乃はあまり関心がないようだった。莉乃は、千春の友だちにほとんど会ったことがなかったし、千春の友だちや保護者で莉乃を知っている人もほぼ皆無だった。
その代わり、莉乃は新体操教室での美岬のライバルたちのことはやたらと詳しかった。
「由香ちゃんは、今はまだスタイルがいいけど、両親の容姿からすると、日本代表入りはまず無理よね」
千春の友だちよりもさらに勝気で狭量な妻の言葉に、三男は自分と同じ昭和40年生まれなのにどうしてこうなのだろうと頭を抱えたことが何度もあった。
(つづく)