「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」佐々木実氏
世界的な経済学者の宇沢弘文東大名誉教授が亡くなったのは2014年9月18日(享年86)。このほど、600ページを超える大著となる宇沢氏の伝記が出版された。
著者が宇沢氏に興味を持ったのは、大宅賞に輝いた前作、「市場と権力『改革』に憑かれた経済学者の肖像」の取材からだった。竹中平蔵氏の正体を暴いた前作では、竹中氏の論文剽窃の話が出てくる。竹中氏が日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の研究所にいたときの話で、そのときに騒ぎを収めたのが同じ研究所にいた宇沢氏だったのである。
「お会いするキッカケは前著の取材でしたが、世界的な経済学者である宇沢さんに、竹中氏のスキャンダルの裏とりや顛末を聞くだけというのもはばかられました。宇沢さん自身も『あの話はもうしたくない』という雰囲気でした。そこで、竹中氏が中心となった新自由主義が世の中を悪い方向に持っていっているんじゃないか。経済学は今、どうなっているのか。そんな話をしたんですが、それに宇沢さんが反応してくれた。宇沢さんがやっておられた同志社大学の『社会的共通資本研究会』に来てみないかと誘われたのです」
とはいえ、学者ばかりの研究会で、ジャーナリストの著者の立場は微妙だった。
「私は学者じゃありませんからね。そこで苦肉の策で、宇沢理論である社会的共通資本の『源流を探る』みたいな形で、宇沢さんにインタビューするのはどうか、と持っていったら、研究会の許可が出た。それが、この本の始まりです」
以後、K・アロー、R・ソロー、G・アカロフ、J・スティグリッツら錚々たるノーベル経済学者をはじめ、宇沢氏の知り合いに片っ端からインタビューし、膨大な資料に当たり、英語で書かれた古い手紙などもチェックした。取材の途中で宇沢氏は亡くなったが、かき集めた膨大なパーツを精緻に組み合わせることで、知の巨人ともいうべき、宇沢弘文の実像を立体的に浮かび上がらせた。
「宇沢さんと40年以上の付き合いだった方が僕の本を読んで、自分は宇沢さんを点でしか知らなかったけど、ようやく、線でつながったとおっしゃってくれた。だとすると、僕の本もそんなに外れていなかったのかな」
昭和3年生まれの宇沢氏は数学の天才だったが、戦争に翻弄され、一時は厭世から故郷・米子で修行僧になろうとする。終戦で一高に戻り、東大理学部数学科に進学したが、学生運動が吹き荒れ、マルクス主義に傾倒していく。数学か経済学か。悩んだ末、「日本の社会がこれだけ混乱しているのに一人数学を勉強しているのは苦痛です」と宣言、経済学者になった。数理経済学に目覚めた宇沢氏は米国でみるみる頭角を現したが、新自由主義のフリードマンらと激しく対立。突如として帰国する。その後、高度成長の歪みとして現れた公害や環境問題こそ、経済学が引き受けるべき課題とみなし、社会的共通資本の理論を打ち立て、水俣病、成田闘争、TPP反対運動などの先頭に立ち、市場原理主義の経済学を激しく批判していった。
「あまたの社会問題に対して今、知識人は崩壊状態と言っていい。学問的な良心よりも、自分がおいしいところに立ちたい。そんな学者ばかりです。学者は何しているんだ。宇沢さんにはこういう憤りがありました。ソローが宇沢さんのお別れの会にビデオメッセージをくれましたが、そこで彼は『宇沢さんはあなた方のロールモデルだ』と語り、学者はかくあるべしと示唆した。『あなた方』とは集まった学者のことで、宇沢さんとは対極にいることを皮肉ったんです」
(講談社 2700円+税)
▽ささき・みのる 1966年生まれ。阪大経済学部卒後、日本経済新聞社入社。95年独立。「市場と権力 『改革』に憑かれた経済学者の肖像」で大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。