「日本の『水』が危ない」六辻彰二氏
「今、このテーブルにお冷やが置いてありますけど、喫茶店で無料の水を出してもらえるのは世界ではごくまれです。水道水を飲めるのは世界でも13カ国しかないし、欧米ではコップ1杯の水にもお金を払うのが常識。日本の『安くて安全』な水は、世界ではとても希少価値が高いものなのに、私たちは、それが当たり前になってしまっていますよね。しかも、その『安くて安全』を支える水道事業が、実はかなり危うい状況だということは、ほとんどの人が知らないんです」
昨年末に成立した「改正水道法」。水道事業の民営化を後押しする法律だが、本書によれば民営化によりフィリピンでは水道料金が1000%以上高騰、アトランタでは茶色の水が出る、途上国では「水メジャー」と呼ばれる巨大企業に利益を独占されるといった数々の問題が生じているという。そもそも、なぜ民営化なのか、今後私たちの水道はどうなるのか? 水を巡る警鐘と提案の一冊だ。
「そもそも、水道事業の実態は火の車だということが知られていないですよね。私も調べてみて愕然としたんですけど、例えば地震大国なのに水道管の耐震補強は全国で37%くらいしか済んでいないし、水道事業者の約74%が水道管の定期点検をしていない。人件費を抑えるため採用を絞ってきたので、点検したくても人手が足りないんです。その結果、水にサビなどが混じっていても、最近は蛇口に浄水器をつけている家庭も多いので気づいていない、なんてことも」
近年、人手不足に加え、水道設備の老朽化が進み、メンテナンス費は年々増大している。こうした状況への打開策として、政府は民間参入を推進しているが、民営化で全て解決すると考えるのは危険だと著者は断言する。
「民営化すればサービスが向上して無駄がなくなり安くなる、とイメージする人もいるでしょうが、民間企業は利益を上げることが大前提です。今は公費を投入して、なんとか料金を抑えているわけで、民営化で家庭の水道代は確実に高くなります。本には10年後に月平均6000円以上としましたが、フランスなどの事例から算出したリアリティーある数字です。アフリカでは料金が高騰し過ぎて貧困層が水を使えなくなり、病気が蔓延するなど、民営化の弊害が次々露呈してきて、世界では公営に戻す地域も増えています。日本は逆行してるんです」
背景には、世界に通用する日本の水企業を育成したいという政府の狙いもあると著者は言う。しかし、本書によれば長年「水鎖国」だった日本は海外の水メジャーから狙われており、投資家の食い物にされる危険も高い。警鐘を鳴らす一方で、貴重な民営化成功例としてドイツとブラジルのケースも紹介されている。
「他のインフラと違い、1日でも入手できなければ人が死んでしまうのが水です。そういう意味では医療と同じくらい、命に直結している。そういうものを市場の原理に完全に任せていいんでしょうか。私は市場原理が悪いと言いたいわけではありません。重要なのは公営か民営かではなくて事業者へのチェック・監督体制がきちんとあるかどうかです。ドイツやブラジルは、その点がしっかりしていたのでうまくいっています。ところが、今の改正法はそこが全くのザル。日本人はただでさえ欧米に比べて訴訟を起こすことも少なく、一度決まった物事に対して順応しがちです。今チェック体制を整備しないと問題が起きても耐えるしかなくなってしまいます」
(KKベストセラーズ 860円+税)
▽むつじ・しょうじ 1972年生まれ。国際政治学者。横浜市立大学文理学部卒、日本大学大学院国際関係研究科博士後期過程満期退学。国際政治、アフリカ研究を中心に、横断的な研究を展開。横浜市立大学、明治学院大学などで教壇に立つ。著書に「世界の独裁者 現代最凶の20人」「対立からわかる! 最新世界情勢」ほか多数。