1961年、岐阜県生まれ。2009年「さよならドビュッシー」で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。本作は「切り裂きジャックの告白」「七色の毒」「ハーメルンの誘拐魔」「ドクター・デスの遺産」「カインの傲慢 」に続く、シリーズ第6弾。
<18>200万円の報酬はとんでもない暴利
「御厨検視官から聞いたのですが、今回の安楽死事件において二百万円という現金の授受があったようですね」
「はい。我々は犯人が安楽死を請け負った報酬だと考えています」
「とんでもない暴利ですよ。積極的安楽死であろうが何であろうが医療行為の報酬ではあり得ない。完全なビジネスと言っていい。カネ儲けのために医療行為紛いを行い、指定難病に苦しむ患者の弱みにつけ込み、違法な安楽死に手を染める。仮に犯人が医療従事者であったとしたら、わたしはその人物を到底許すことができません。いえ、わたしに限らず医療従事者全員の敵と言っても過言ではないでしょう」
普段から理知的で決して感情的にならない印象の蔵間が珍しく憤っている。
「犬養さんだから話しますが、前回の安楽死事件が発生した際、我々医療従事者の間にはドクター・デスなる犯人にシンパシーを抱く者が少なくなかったのです」
「それは、あまり大っぴらに公言できる話じゃありませんね」
「安楽死事件を捜査されたのなら、横浜地裁が提示した違法性阻却の四要件もご承知かと思います」
「あの一件で臨床医師の多くは、法曹界がいかに医療現場の現実を知らないか、あるいは知ろうとしないかを思い知らされました。いや、事によると知悉した上で見て見ぬふりをしたのかもしれません。一度でも指定難病の患者を看取った人間なら、四要件全てに合致する場合など滅多にないと分かっていますから」
犬養と明日香は頷かざるを得ない。四要件全てが普通に揃うのであれば安楽死の事例は頻出するはずだろう。
「個人的感想ですが、横浜地裁の判断は従前のものより踏み込んだ内容であるものの、やはり合法的な殺人を認めるのはまかりならぬという総意が見え隠れします。秩序安寧を旨とする司法の世界では、それが当然なのでしょう。しかし医療の世界において四要件は、足を使わずにサッカーをしろと言うのに等しい。だからこそドクター・デスの安楽死事件が公になり、その報酬がわずか二十万円と知った時、医療従事者の一部は密かにエールを送ったのですよ。司法判断とは別に、患者の死ぬ権利を尊重しほとんど実費で安楽死を提供したドクター・デスには医師としての倫理が窺えるのです。肉体と精神が病魔に侵され、患者は苦しみながら死ぬしかない。そんな患者と家族の苦痛を和らげる行為は、果たして私利私欲で他人を殺める行為と同等の罪なのか。医療従事者は神でもなければ裁判官でもありません。感情的になった愚か者の短絡的行動と言われればそれまでのことです。しかし論理や法律だけで世界の全てを律しようという考え方も一種の傲慢という気がしないでもありません」
耳を傾けていた犬養は背中に悪寒を感じる。蔵間の言説は医療従事者としてもっともな意見だと納得する一方で、どこか危うさを感じる。しばらく記憶を巡らせ、蔵間の言説はかつて自分を翻弄したドクター・デスの主張と酷似していることに思い至った。
(つづく)