「憲法を生きる人びと」 田中伸尚著/緑風出版
先日、韓流ドラマの「明成皇后」を見終えた。124話に及ぶ大作である。日本では、「朝鮮王朝末期の国母」の閔妃として知られる彼女は1895年に日本人の手によって虐殺された。首謀者の公使、三浦梧楼は「これで朝鮮もいよいよ日本のものになった」と上機嫌だったという。「明成皇后」は途中で何度も目をそむけたくなるほど非道な日本のやり方を描いていく。もちろん、三浦が指示を仰ぐ首相としての伊藤博文も登場する。このドラマはそれこそ日本人必見なのではないか。
「憲法を生きる」10人を追ったこの本に、「在日サラム」の丁章が取り上げられている。
日本人女性と恋愛し、結婚しようとした丁に、特に母親が猛烈に反対した。
「日本人は絶対に差別する」
「章、お前は日本人をよう知らんからや」
「章は差別って何か知っているのか」
それは嵐のようだったが、たとえば角田房子の「閔妃暗殺」(新潮文庫)などを読めば、その非難が理由のないものではないことがわかるだろう。
著者の田中は全8巻の「ドキュメント昭和天皇」(緑風出版)の著者でもあり、天皇制にこだわって生きてきた。同じように、「戦争ロボット」だった戦時中の自分を悔い、戦後主権者革命を起こそうとして出版に携わってきたのが径書房社長の原田奈翁雄である。
1988年に市議会で天皇の戦争責任について問われた長崎市長の本島等は「あると思う」と答えた。翌日から本島への非難と激励が津波のように押し寄せる。本島は「長崎日の丸会」の会長だったが解任された。
原田はその反響をそのまま本にしようと考えた。しかし、右翼から実弾が送られてくるような状況で何度も出版を延期せざるを得なくなった。それでも原田はあきらめず、1989年5月15日に「長崎市長への七三〇〇通の手紙 天皇の戦争責任をめぐって」が出版される。わずか1カ月で3万6000部に達したが、1990年1月18日に本島は右翼団体員に撃たれ、胸部貫通の大けがを負った。
天皇について語ることがこの国ではタブーなのか、と原田は落胆した。そしていま、原田は田中に嘆く。
「たしかにあの本をめぐる一連の出来事は現代史に残る事件と言えるでしょう。でも、その効果は持続しなかった。主権者になりかけた人びとはまた巣ごもりをして、黙ってしまったかのように僕には思えるのです」 ★★★(選者・佐高信)