「謎ときサリンジャー」竹内康浩、朴舜起著
本書の副題は、「『自殺』したのは誰なのか」。この「誰」とは、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」の最後、拳銃で自らの頭を撃ち抜いてしまう若い男のこと。すでにその作品を読んだことのある人は、「えっ、シーモアのことでしょ?」と首をかしげるかも知れない。妻と一緒に休暇を楽しんだシーモア・グラスが、リゾートホテルの一室で何の前触れもなしに自殺を図る。この唐突な死はさまざまな解釈が施されてきたが、自殺したのはシーモアで間違いないのでは? と。
サリンジャーは「バナナフィッシュ」以降、〈グラス家のサーガ(物語)〉と呼ばれるグラス家の人々が登場する作品を書き継いでいく。グラス家は両親と5男2女の9人家族で、シーモアは長男。シーモアはその後もいくつかの作品に登場するが、実質的な最後のサリンジャー作品「ハプワース16、1924年」では、7歳のシーモアが自らの死を予言する。そこに「ぼくたち(シーモアと次男のバディー)のどちらかがこの世を去る時には、いろいろな理由で、もう片方がそこにいることになる」という謎めいた言葉が添えられていた。素直に読めば、自殺したのはシーモアに間違いないのだが、「どちらか」「いろいろな理由」「片方」とは何を意味しているのか。著者はこれらの言葉を手がかりに、サリンジャーが仕掛けた謎をひもといていく。
もう一つの手がかりは、「バナナフィッシュ」を巻頭に収めた短編集「ナイン・ストーリーズ」のエピグラフに記された白隠禅師の「隻手音声」という公案。両手を打つと音が出るが、片手にはどんな音があるかという問いだ。ここから芭蕉の俳句とシーモアが書き残した俳句の関係へと話が及ぶ。さらに、このシーモアの死の謎は「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデン・コールフィールドが直面する死の問題にもつながっていく。
綿密かつ巧緻な読解によって、次々と謎の扉を開いていく叙述はスリリングかつ刺激的。小説を読むことの愉悦を余すことなく伝えてくれる。 <狸>
(新潮社 1650円)