「そしてフジノオーは『世界』を飛んだ」辻谷秋人著
1966年、世界で最も過酷な障害レースといわれるイギリスのグランドナショナルに、日本馬として初めて参戦した馬がいた。日本最高峰の障害レース、中山大障害を4連覇した後のヨーロッパ遠征だった。一頭のサラブレッドと、彼と共に本場のレースに挑んだ男たちの軌跡を描いたノンフィクション作品。
日本では、平地の競馬に比べて、障害の人気は低い。平地で芽が出なかったフジノオーは3歳の時、障害馬に転向することになった。彼はいかにも楽しそうに障害を飛び越えた。天性のジャンパーだった。
オーナーの藤井一雄は山口県萩市の出身。実家では馬を3頭飼っていて、子供のころから馬に乗るのが大好きだった。藤井は大学を卒業すると、馬の輸入と育成を試みる。日本の馬を大きく、強くしたかったからだ。経験のない若者の無鉄砲な試みは何度も頓挫しかけるが、オーストラリアから7頭の牝馬を輸入することができた。
しかし、上陸の許可がなかなか下りず、3頭が死んでしまう。残った4頭のうちの1頭と、アメリカから買ってきた種牡馬から生まれたのがフジノオーだった。小柄な栗毛で見栄えはしないが、丈夫で、気性も落ち着いている。調教師の橋本輝雄が見抜いた通り、障害入りしてメキメキ頭角を現した。
国内に敵なしとなった時、藤井は海外遠征を志す。しかし何もかも初めてづくし。航空機で馬を輸送するだけでも大仕事だった。人間の心配をよそにフジノオーは動じない。肝が据わっていた。
レース当日、雨でぬかるんだエイントリー競馬場は大波乱。悪条件が重なる中、前を走る馬のトラブルに巻き込まれたフジノオーは第15障害を飛越拒否、競走中止という結果に終わった。出走馬47頭のうち、完走したのは12頭だった。
これは「偉大なる失敗」だった。その後、ヨーロッパに2年滞在したフジノオーは、フランスの重賞レースに2勝し、日本の競馬史に新たなページを加えた。あっぱれな馬だった。
(三賢社 1540円)