「〈洗う〉文化史」国立歴史民俗博物館・花王株式会社編
経産省の調査によれば新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年以降、せっけん類の生産は増加しているという。しかし、逆に洗顔クリーム類は減少しており、これは化粧をする機会が少なくなってクレンジングなどが減少したためだという。ともあれ、多くの人にとって、これほど小まめに手を洗うというのは初めての経験ではないだろうか。
本書は、国立歴史民俗博物館と花王との共同研究による「洗浄という行為」と「清潔という感覚」に関して歴史的な視点から分析したもの。
最初に考察されるのは「洗う」という言葉について。この言葉は記紀万葉のいずれの文献にも登場する古いもの。同じような意味を持つ「すすぐ」が水の中で全身を振り動かして穢(けが)れをふるい落とすことを意味するのに対し、「あらう」は穢れを清めるのと同時に、新たに良きものを生成する行為を表す言葉として用いられていた。つまり、傷みや病といった身体的なものだけでなく、罪、咎、悪事といった精神的な穢れを取り除き、清浄性を蘇らせることが「洗う」という言葉には託されているのだ。
続いて、江戸時代の下級武士がどのくらいの頻度で歯磨き、手水(ちょうず=行水のように全身を洗う)、入浴、髪結いをしていたかを見ていく。歯磨き、手水はほぼ毎日、入浴は月3、4回、髪結いは3日おき。江戸の町はほこりが多いので汚れやすいといった記述も紹介されている。また明治末~大正初めの奈良県の農村の入浴実態調査では月に2~20回と幅広く、風呂のある家が風呂をたくと近隣の者が入りに来て多いときには1日に30~40人が入りに来たという。
そのほか、明治中期に始まる児童たちへの歯磨きの啓発活動、からだの洗浄とこころの洗浄の相関関係といった興味深いテーマも紹介されている。このコロナ禍を期に、日本人の清潔感は変化していくのか、そんなことも考えさせる一冊。 <狸>
(吉川弘文館 2420円)