「石橋湛山評論集」松尾尊兊編/岩波文庫
ソ連(現ロシア)がチェコに侵入した1968年も現在のように自衛力強化の声が高まった。それに対して「しかし、軍隊をもって防衛をはかるということは、ほとんど世界中の軍隊を引き受けてもやれるということでなければならぬ」とし、「軍隊でもって日本を防衛することは不可能である」と説いたのは石橋湛山である。
自民党の総裁になり、首相に就任しながら、病のために早々にその座を去らねばならなくなった湛山は、戦争放棄の日本国憲法第9条に「痛快極まりなく感じた」と拍手を送り、「深き満足」を表明している。
いま、改めて湛山の主張に耳を傾けなければならないのではないか。
同じ自民党ながら、湛山の対極にいたのが安倍晋三の祖父、岸信介だった。
「毎日新聞」記者の岸井成格に聞いたのだが、安倍は再び自民党の総裁選に立った時、「石石に負けてなるものか」と言ったという。その時の相手が石破茂と石原伸晃だった。しかし、それだけではなく、岸が無念の涙をのんだのが石橋湛山と石井光次郎の連合だったことを忘れていなかったのである。その2位と3位の「石石」にひっくり返された悔しさを、あるいは岸は孫の安倍に語っていたのかもしれない。
「わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす。したがって、そういう考え方をもった政治家に政治を託するわけにはいかない」とも湛山は言っているが、自民党だけでなく野党にまで「そういう考え方をもった政治家」が増えてしまった。
湛山は共産主義に恐怖心を持たず、中国との国交回復に力を尽くした。それを知っている田中角栄はそれを成し遂げるために中国に出発する時、湛山を訪ねている。岸から安倍に至る自民党清和会の系譜は反共で中国を敵視する。そして反共の統一教会とつながる。彼らが安易に口にするのが「国賊」である。
何度目かの中国訪問の際、湛山は「愛国者」と自称する人たちから、空港で国賊と誹謗するようなビラをまかれた。その時、湛山は首相をやった鳩山一郎が不自由な体でソ連に飛び、日ソ国交回復の交渉をした心中を察して深く同情の念を抱いたという。私は「湛山除名」(岩波現代文庫)を書いたが、そんな湛山を自民党は2度も除名した。しかし、除名されるべきは除名した方ではなかったか。 ★★★(選者・佐高信)