「神々の復讐」中山茂大著
ヒグマが人を襲った現場は凄惨をきわめる。大きな手で人間を乱打し、かきむしり、噛みつき、食いちぎる。五体を食い尽くされ、わずかに頭部を残すだけの遺骸もある。猟師に倒された人食いヒグマの胃袋からは、未消化の人体の一部や衣類の切れ端があふれ出てくる。こうした惨劇が数多く紹介されていて、ヒグマの怖さを改めて思い知らされる。なぜヒグマは人を襲うのか?
著者は、明治11年から昭和20年までの約70年間の新聞資料を通読し、北海道で起きたヒグマ事件を丹念に拾い集めた。集めた資料をデータベース化し、それを元に「北海道人喰い熊マップ」を作成した。そこから見えてきたのは、北海道開拓史と人食い熊事件には深い相関関係があることだった。
明治以降、熊の聖地は急激に人間に侵食されていく。炭鉱開山、鉄道敷設、砂金掘り、軍事演習、森林伐採……。人間の営為によってヒグマは生活圏を奪われ、山の奥へと追い詰められていく。人間との競合地域が広がって接触の機会が増えると、互いの生活圏の境界で殺傷事件が多発。「山の親爺」と親しまれていた山の隣人は、おそるべき猛獣と化していく。人間は傲慢にも自然界の聖域に土足で踏み込み、人食い熊を生み出してしまったのだ。
ヒグマ事件は過去のことではない。近年、道東で65頭もの牛を襲った巨大なヒグマOSO18が話題になっている。動物愛護団体からは「かわいそうだから殺すな」という抗議が地元役場や猟友会に寄せられているという。かつての熊撃ち猟師は村人を救う英雄だったが、現在は動物虐待と批判され、担い手が減っている。
一方で、道内のヒグマ個体数は、この20年間で4倍に増えていて、人食い熊の出現数も増えると予想される。乱暴な自然破壊から反転した安易な自然保護、動物愛護の発想で、この事態に対処できるのか。人間は、人食い熊という異形の神に試されている。
(講談社 2420円)