忘れないための戦争を考える本特集
「関東軍」及川琢英著
まもなく78回目の終戦記念日。ほとんどの日本人が戦後生まれとなった。しかし、ウクライナ戦争を例に出すまでもなく、いつまた日本が戦渦に巻き込まれるとも限らないのだ。かつて日本が戦争の当事者だったことを忘れないために、読んでおきたい本を紹介する。
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「関東軍」及川琢英著
日本陸軍の出先軍・関東軍の誕生から崩壊までを解説した歴史テキスト。
1904年に開戦した日露戦争を優勢に進めた日本は、日露講和条約と日清条約によって、ロシアが有していた遼東半島南端の租借地と鉄道権益の一部を引き継ぐ。同租借地は関東州と呼ばれ、鉄道権益ではロシアが敷設した南部線の長春以南の取得が認められ、南満州鉄道会社が営業を開始。関東軍は、その関東州と満鉄を保護するために、1919(大正8)年に成立した。
その後、1928年の張作霖爆殺事件や31年の満州事変の発端となった柳条湖事件など、関東軍は日本政府や陸軍中央の統制から外れて行動し、満州国を強引につくり上げていく。
政府や陸軍の思惑を超えて暴走したその構造的背景や、満州国統治に関わった軍司令官らの個人的特性、そして満州国政府や満州国軍など現地勢力との関係を分析しながら、その歴史を振り返る。 (中央公論新社 1012円)
「写真が語る銃後の暮らし」太平洋戦争研究会著
「写真が語る銃後の暮らし」太平洋戦争研究会著
戦後78年が経ち、日本人にとって戦争は遠い昔のことになろうとしている。しかし、ニュースで見る破壊されたウクライナの街や途方に暮れる人々の姿は、まさにかつての日本の姿そのもの。
本書は、当時の内閣情報部編集の「写真週報」や戦前の写真誌などに掲載された写真で、狂喜から絶望へと至る日本人の15年間を追ったビジュアルブック。
冒頭は、関東大震災からの復興を遂げた昭和5(1930)年の銀座の様子から。ほかにも娯楽の殿堂として賑わう浅草六区や、街を闊歩するモガなど、昭和モダンと呼ばれた独自の大衆文化を楽しむ人々の姿が写る。しかし、それもつかの間、1931年には満州事変が勃発。情勢はきな臭さを増し、戦線の拡大で召集され、妻子と別れのひとときを過ごす出征兵士の写真が当時の状況の変化を象徴する。以降、太平洋戦争に突入して敗戦から占領下まで、庶民の暮らしの移り変わりを写真で振り返る。 (筑摩書房 1430円)
「占領期 カラー写真を読む」佐藤洋一、衣川太一著
「占領期 カラー写真を読む」佐藤洋一、衣川太一著
戦後の占領期(1945~52年)に日本にやってきたアメリカ人は大量のカラー写真を撮影し、本国に持ち帰った。一方で、日本人が占領されている者の視点から撮影した当時の写真はほとんど残されていないという。
2000年代後半から、これまで秘蔵されてきた占領下の日本で撮影された写真の存在が明らかになり、デジタル化して公開されたり、SNSやオークションサイトを介して海を越え個人間でのやりとりも行われている。
本書は、そうしたアメリカ人が占領下の日本でプライベートで撮影したカラー写真を紹介。温泉町や京都の街角で撮影された何げないスナップから、銀座を行き交う人々や、子守をする少女、赤ん坊を抱きながら物乞いをする男性、さらにはデモ隊や闇市の風景など、驚くほど鮮明で色彩豊かな写真に驚かされる。
そうした写真の一つ一つを読み解きながら、それらを戦後史の資料として活用する方法を探る。 (岩波書店 1254円)
「昭和史の人間学」半藤一利著
「昭和史の人間学」半藤一利著
昭和史を動かしてきたキーパーソンの軍人と政治家を語る人物評集。昭和初期、陸軍の永田鉄山は国家総動員体制の基礎を作った人物。その頭脳明晰さは陸軍史上一、二を争うほどで、あまりにも合理的でほかの将校からは敬遠された。そんな永田とコンビを組んだ小畑敏四郎は、作戦の鬼才と言われた人物。2人が血盟的同志だったのは満州事変までで、やがて関係が悪化。それは対ソ連戦の戦略に影響を及ぼすほどの対立だったという。
その満州事変を引き起こした陸軍最高の天才・石原莞爾と、鋭さには欠けるがねばりと実行力で石原とともに行動した板垣征四郎。彼ら2人が満州事変でなし崩し的な成功を収めてしまったことが、その後に陸軍が謀略優先の集団になり果てる結果を導いたと指摘する。こうした卓越した軍人を陸・海軍別に評する一方で、「残念な軍人」や、政治家や官僚まで俎上に分析。通読すれば昭和史の流れがよく分かる。 (文藝春秋 990円)
「太平洋戦争史に学ぶ日本人の戦い方」藤井非三四著
「太平洋戦争史に学ぶ日本人の戦い方」藤井非三四著
甚大な犠牲者を出した太平洋戦争を日本人はどのように戦ったのか。開戦から降伏に至るまで、敗北の戦史をひもとき、当時の日本社会を支配した意識や、日本人の戦い方、考え方を分析し、失敗の本質に迫るテキスト。まずは戦端を開いた真珠湾攻撃を取り上げる。昭和16年8月、山本五十六長官の意向で連合艦隊と第1航空艦隊の参謀が真珠湾奇襲をもって対米英蘭戦の戦端を開く案を軍令部に提起。当時の軍令部はその計画に否定的だったが、結果として、その奇襲計画が採用された背景を解説。
開戦から4カ月後には日本軍の隙をつき米軍が日本本土への空爆を実施。日本人は奇襲を好むが、逆に奇襲をされるとうろたえ正常な判断力を失ってしまうとその国民性を指摘する。
さらに、本来は目的を達成するための手段が、玉砕そのものが目的と化してしまった「特攻」という戦い方まで。敗戦に至るまでの過程を子細に見つめ失敗の理由に学ぶ。 (集英社 1056円)