中野純(闇案内人)
12月×日 年内最後の闇歩きツアーの案内などを終え、宮沢賢治の童話に中野真典が絵を描いた「かしわばやしの夜」(三起商行 1650円)をじっくり楽しむ。謎の「画かき」に誘われて、夜の林に「前科九十八犯」の男が入っていく話。ぶっ飛んだファンタジーだが、感覚的にとてもリアルでわかりやすい。変な声や音が聞こえたり、木が動物的になったり、突然の風や霧、真珠のように鈍い朧月の光などなど、まさに闇歩きで体験することだ。天狗のように人間と自然をつなぐ、赤いしゃっぽの画かきがいい。私もそうありたい。
物語も夜気に満ちているが、絵もスゴい。絵というより立体作品で、大半のページが段ボール箱の中につくられた紙人形劇の場面という感じで、箱の外や絵の後ろから光を巧みに当てて撮影している(撮影は中里和人)。それゆえ場面が奥深くて暗く、夜の空気感が漂う。フォグマシンで絵の前に夜霧を発生させて撮ったページもある。
1月×日 集中力がないので、座って本を読むとすぐ頭が霞んでくる。そこで立ち上がって読むと頭が晴れる。だから家でよく立ち読みをする。今日は古いまんがを立ち読みしたが、その前に元旦から3日間かけてヨハン・エクレフ著「暗闇の効用」(永盛鷹司訳 太田出版 2420円)を熟読した。光害の話は天文学目線になりがちだが、この本は生物学目線を軸にしていて、ほとんどの人が見向きもしない蛾の危機から話が始まるのが新鮮で引き込まれた。
光害によって蛾をはじめとした昆虫が激減し、地球の生態系が崩壊しかけている。光害は軽視されてきたが、地球温暖化やマイクロプラスチック問題と同等かそれ以上に重大な環境問題だということが明らかになりつつある。だが、その大問題を解決するのは技術的には非常に簡単だという指摘が印象的だ。技術に意識が追いつけばいいだけなのだ。光害を叫ぶことは大切だが、問題は光があることではなく、闇がないことにある。私は光害より“闇益”を語り続けねばと改めて思う。