髙橋秀実(ノンフィクション作家)
2月×日 近頃は「生成AI」やら「AIで自動運転」「AIで○○」等々、なんでもかんでも「AI」である。一種の呪文にも聞こえるのだが、「AI」を知らずして未来はないらしい。これを理解するには数学が必須とのことで、昨年来、私は数学関係の本ばかり読んでいる。
基礎からしっかり学ぼうと遠山啓先生の「数学入門(上)」(岩波書店 946円)などから読み始めたのだが、いかんせん数字アレルギーなので、いちいちつまずき、随時読み返すという忍耐の読書。そもそも数とは、物事の違いを明確にするためのものらしいが、違いを明らかにするために物事を数で同質化しているわけで、矛盾をはらんでいる。社会の事象もむやみに数量化し、それを客観的データなどと称されると、しまいには腹も立ってくるのだが、スティーヴン・ウルフラム著「ChatGPTの頭の中」(早川書房 1012円)はすんなり読めた。
著者自身が生成AIの開発者。その仕組みをもったいぶらずに簡潔に教えてくれるのだ。AIは文章を理解しているのではなく、入力された大量の文章から、単語と単語のつながりを確率的に予測していくらしい。確率が最も高い単語をつなぐと「単調な」論文になるが、適度に低い(「温度0.8」などという)単語をつなぐと興味を引く文章になるそうで、これは「予想外」の結果だったという。さらに著者が驚いたのは、人間の言語は「考えていたよりも単純」だったということ。言語は人間の複雑な能力かと思ったら、意外にも計算可能でバカだったというのだ。
なめんなよ。
私は思わずつぶやいた。 コミュニケーションで重要なのは言語ではなく言明である。いつ誰が誰に対して発言するのか。言葉は言明されて初めて意味を持つわけで、言語自体には価値がない。AIが生成する文章はAIという立場の言明にすぎないのである。
しかし多くの人間が書いた文章の真似から生成されるAIが尊重されるとすれば、それは数学的に究極の民主主義といえる。AIの発言は多数決の威力を帯びているわけで、やはり私などは希少性で闘うしかないのだろう。