小泉八雲の「怪談」は刊行から100年経っても楽しめるし怖い
漢字に魅了され、文字でなく美術として捉えていた八雲
著者である小泉八雲の出生名はラフカディオ・ハーン。明治29年(1896年)に帰化してからは小泉八雲と名乗ります。
新聞記者だった小泉八雲は、日本で外国語の教師となり、『怪談』で小説家として有名になりましたが、海外では日本での紀行文作家や随筆家として有名。著作に目を通してみると、その描写力に舌を巻きます。初めて降り立った横浜港の街並みや、はだかで泥だらけになって遊ぶ松江の子どもたちの姿など、文章を目で追いかけるだけで鮮明な映像が頭の中で結ばれていく。
なので、私は思うのです。彼の頭の中では、きっと読者が思い浮かべるよりも遙かに現実味がある場面が描かれていたのではないかと。
書き手は、読み手が想起する数倍の細やかなイメージを頭に描きながら筆を走らせます。『怪談』に収められている作品たちについて、はたしてどれだけ緻密な映像が彼の頭の中に描かれていたのか──それを考えるだけで、私は震え上がってしまう。
自覚していたかどうか定かではありませんが、小泉八雲は美術的な審美眼という感覚が極めて高かったと思う。
彼は日本の文化、とりわけ漢字に心を奪われていました。
暖簾(のれん)や法被(はっぴ)の背に描かれた漢字一文字。その躍動する形に対して、文字ではなく美術として捉えていたというから畏れ入る。※『東洋の土を踏んだ日』(『神々の国の首都』講談社学術文庫に収録)
漢字に対して、その強い思いを小泉八雲は作中に記しています。当時の日本ローマ字会が提唱した「日本語を書くのに英字を用いることにしよう」というスローガンに対して、「醜悪きわまる実利一辺倒の目的」と断じて強硬な反対を唱えています。
ある意味、彼は日本人より漢字を愛した人なのではと私は思うのです。