名前が九だから縁起を担いで9歳から落語を覚えさせられた
「その人が会長になってとってもうれしかった。兄さんとは10歳違うんですが、今でも距離が近い感じがします。兄さんの僕を見る目はいつも温かい」
たまに花緑が古典落語を崩し過ぎたりすると、市馬が、「あたしはあんな子に育てた覚えはない」と言ったものだ。今でも世話係のつもりなのだろう。
1987年3月、中学を卒業した九は正式に小さんの弟子となった。前座名は柳家九太郎。
「最初に叔父に稽古してもらったのが与太郎噺で、祖父に稽古してもらったのが泥棒の噺です。ばかと泥棒って、落語家ならではの教育ですよね。吸収力が強い時期ですから覚えはよかったです。落語の稽古は楽しかったけど、問題は寄席での前座修業です。落語協会会長の孫ですから、ある師匠が楽屋で、『坊ちゃん、ゴミ捨てましょうか』なんて言うと、別の師匠が、『そういうことすると、この子のためにならない』と反論する。皆さんに気を使わせてしまったみたいです」
花緑も気苦労である。(つづく)
(聞き手・吉川潮)