人の使命感を描くも…「最後の忠臣蔵」ラストの切腹に疑問
ただ、孫左衛門と可音の関係は不自然でもある。可音にとって乳児から育ててくれた孫左衛門は実父も同然。恋心を抱くことはあり得ない。「曽根崎心中」を使うために無理をしたのだろうか。
見どころは可音の輿入れだ。最初は夜の山道を孫左衛門一人が付き添う寂しい風情だったが、たいまつを手にした吉右衛門が大勢の従者とともに加わってほっとさせられる。さらに旧浅野家の家臣が続々と参加。嫁入りの行列は頼もしさを増していく。浅野内匠頭の乱心から討ち入り、浪士の切腹と続いた血生臭い物語を美しい映像が清めた。
それだけにラストは疑問が残る。杉田監督は切腹マニアなのか、それとも「ハラキリ」好きの外国人を意識したのか、派手な切腹を披露。婚礼という晴れの日を血穢(けつえ)で汚したことになる。たしかに池宮の原作には「鮮血が飛沫(しぶい)た。その血を浴びて二つの位牌が真赤に濡れた」とあるが、ここまでやる必要があったのか。
考えてみると、日本人は時代劇に派手な死に方を期待しがちだ。そうした血を求める習性がこの描写を生んだのなら、われわれ時代劇ファンの責任は重い。 (森田健司)