「円歌さんが会長をやりたがっています」と小さんに進言し
「円歌兄さんは10年会長をやって、後は志ん朝に譲ると明言した。前にも言ったけど、志ん朝が会長になったら、俺が副会長になれるかもと思ってたんだ。ところがだ。2001年に志ん朝が肝臓がんで亡くなっちゃう(享年63)んだから、わからねえもんだ」
2002年5月16日には小さんが心不全で亡くなる。享年87。同期の親友と師匠を続けて失った馬風の悲しみは深い。
2006年6月、円歌は公約通り会長を退任。馬風を次期会長に指名した。
「『会長への道』のネタじゃねえけど、先輩の談志、円楽(先代)が協会を脱会したり、同期の志ん朝が亡くなったりで、誰もいなくなって俺にお鉢が回ってきたわけよ。円歌会長は俺に恩義を感じてたから、後継者に指名したんだと思う」
6月26日、馬風は会長に就任した。最初の任務は、三語楼の6代目小さん襲名披露興行を成功させることだった。興行は9月から11月にかけて5軒の寄席を回り、全国各地のホールでも開催された。馬風が披露パーティーを仕切り、披露口上に並んだのは言うまでもない。 (つづく)
(聞き手・吉川潮)