綿引勝彦さんの思い出「鬼平」の名を出すと目つき変わった
すると綿引さんの表情がスッと変わった。
「えっ……、そうかい?じゃあ、ひとつやってみるか」
まさに老獪な密偵の表情になっていた。
快く取材に応じてもらえたのだが、役者が役名を耳にしてカチッとスイッチが入る瞬間を見せてもらったと思った。
「鬼平犯科帳」でいえば、同じような経験をさせてもらったことがあった。故・高橋悦史さんが番組スタートから第6シーズンまで与力役でレギュラー出演した後、1996年にやはり膵臓がんで倒れ、亡くなってしまった時のことだ。
主演の鬼平の中村吉右衛門はちょうど歌舞伎の夜の部の舞台があった。通夜は確か埼玉県だったか、かなり距離的に離れていた。僕らは「さすがに吉右衛門さんは来られないんじゃないか」と話しながらも、念のため待っていた。すると、吉右衛門が車で駆けつけた。口を真一文字に食いしばった表情で我々の前を通り抜け、棺の前に立つと、両手の指を握りしめるように組んで目を閉じて祈っていた。すぐに取って返すように引き揚げるのだが、ほんの一言二言コメントしてくれた。
その声や間合いは間違いなく鬼平が降ってきたもので、無念の表情だった。役者とは役に生きるものであり、そして役を通じて役者同士も濃密な関係を築くことがわかった。