山口洋子と権藤博の結婚を阻んだもの…女性誌は「中日球団の横槍が」と
■「別の理由があった」
話は1960年代に舞い戻る。「姫」を畳んでまで、権藤博との結婚生活の準備を進めていた山口洋子だったが、4年の交際期間を経て、結婚どころか、別れの序曲が聞こえるようになっていた。
《男は東京に遠征で来ているのに、電話の一本もない。かっと血がのぼって、瞬きも二、三日が続いて……》(「ザ・ラスト・ワルツ『姫』という酒場」山口洋子著/文春文庫)
女性誌「婦人倶楽部」(1970年2月号)は、「中日球団の横槍があった」と書く。「中日にとって、巨人の長嶋のような存在だから、球団社長の娘と結婚させたい」という球団の意向に、エースである権藤の気持ちが揺れ動くようになったというのだ。ままありそうな話である。
しかし、実際はそうではなかった。「別の理由があった」と、洋子自身、躊躇なく書き残しているのだ。