飯野矢住代誕生秘話<23>山口洋子「せっかく美の神に祝福されながら根性は二流だ」
そんな飯野矢住代にひとつの再会があった。俳優Iである。出会いは8年前、当時、人気子役だったIはNHKドラマ「次郎物語」で主演を張っていた。このとき14歳。1歳下の矢住代がプロのモデルになる前である。出会いのいきさつを芸能誌からひく。
《当時彼は中学2年、彼女が1年だった。子役として彼が出演した「次郎物語」は、東京・千代田区内幸町の「日比谷スタジオ」で撮影されていたが、このスタジオに、よく現れる少女がいた。それが彼女だった。小さなスターと、それにあこがれる幼いファン……》(「週刊平凡」1972年1月20日号)
とはいえ、そこから交際に発展したわけではまったくない。Iのコメントがある。
《かわいい少女でした。でも仕事が終わると、お互いに話もせずに家へ帰りました。「次郎物語」が終わったあと、3年くらいは会うこともなかったんですが、(略)それからしばらくたって、彼女がミス・ユニバースになったテレビを見ました。しかし住所もわからないし、お祝いの電話もかけませんでした》(同)
それがひょんなことから再会する。1971年7月、場所は渋谷のスナック「深海魚」。ここから交際が始まった。「再会がきっかけ」とIは言うが、今までの矢住代のパターンを見る限り、おそらく初対面でも意気投合したのではないか。いかなる交際だったのか、再びIのコメントをひいてみる。