ジローラモさんが語る人生のターニングポイント「日本でのすべての人との出会い」
語学の教育番組だから出演は4月から翌年3月の1年間の予定でしたけど、僕は結局10年以上務め、たぶん語学番組では一番長い出演かもしれません。
語学番組は昔はすべて生徒と先生のやりとりだけでタレントを使わなかったけど、番組で出会った若いディレクターとともに「もっとポップな感じにしよう」と考え、女優の卵が起用されたり、僕は日本語も話せるから日本語のトークも入れたりと、バラエティーに変えていったんです。その後に語学番組が女優やタレントを使うのが増え、今はバラエティーのようなつくりが当たり前になってますね。
その番組をきっかけに「笑っていいとも!」(いいともちょい不良オヤジコンテストなど)をはじめ民放にも出るようになりました。
■「うちの洋服を着て」タケオキクチや山本寛斎が声をかけたのは…
「イタリア語会話」はスタイリストがいなかったから、ファッションが好きな僕は渋谷の安い洋服屋でいろんな服を買っては自分で組み合わせて衣装にしていたんです。