『敵』夢と妄想に取り憑かれた男の敵は…妻の「呪縛」か?
思い浮かんだのはポーランドの名作「尼僧ヨアンナ」
こうした展開から、アンソニー・ホプキンス主演の「ファーザー」(2021年)のように認知症を患っているのだろうと考えてしまうが、吉田監督によると、作者の筒井康隆は「認知症ではなく、あくまでも“夢と妄想”の人」と主張しているそうだ。いずれにせよ、この物語は現実と夢・妄想の境界線が判然としない。見ていて、どこからどこまでが現実なのか分からない。そういう点で難解な映画と言えるだろう。
考えるべきは「敵」というタイトルだ。主人公の儀助はどんな敵と戦っているのか。
前述のとおり、筆者は劇場で本作を見て何が儀助を苦しめているのか、敵とは何なのか分からなかった。ところが帰りの電車であれこれ考えているうちに、一本の映画が脳裏に浮かんできた。ポーランドの名作「尼僧ヨアンナ」(1961年、イェジー・カヴァレロヴィチ監督)である。同作は若き神父が悪魔に取り憑かれた修道女を覚醒させようと努力するうちに、その色香に惑わされ発狂する姿を描いた。戒律に縛られた世界で彼が味わったのは、禁欲による拷問じみた苦悶である。この「尼僧ヨアンナ」を念頭に置けば本作を理解できるのではないだろうか。
「敵」の主人公儀助は老年だが、若き神父と同様に肉欲と戦っている。77歳でありながら就寝中に夢精し、下着を洗う。この場面を現実だと仮定すれば、儀助はまだ女性への飽くなき欲望を抱いている。だから靖子の色香に惑わされる自分を夢に見る。歩美に金銭援助をする場面は知識人らしく理性的に振る舞っているが、実のところは下心を隠しているのかもしれない。