がん手術を通算8回 黒沢年雄は「もうお葬式も済ませた」
■“当たり年”だった3年前を境に死ぬことも怖くなくなった
僕は16歳の時に、母親(39歳)をがんで亡くしました。最期に「としお、頼むよ」と言われた言葉をずっと背負って、長男として3人の弟の面倒を全部見ました。あの頃は、食べる物も着る物もなくて、生きるために何でもやった時代です。つらいこと、悲しいこと、逃げ出したくなることはいくらでもありました。でも逃げられなかったから、いつの間にか無意識でその境遇を楽しむようになっていったんです。
病気だって同じです。妻に迷惑は掛けたくないから、入院中の洗濯だって全部自分でやっていましたよ。点滴ぶら下げてね(笑い)。後から“こんなことも自分でやったな”って思えば楽しいじゃない。
がんの当たり年だった3年前を境に、死ぬことも怖くなくなりました。思えば、若い頃は無我夢中でウエーターから保険のセールス、トラック運転手……いろんな職業を経験しました。そんな実体験の引き出しをたくさん持っていたから、演技勉強ゼロの僕が、役者でやってこられたと思っています。その代わり、役者になってからは夜更かしも酒量も半端ではありませんでしたから、がんになっても不思議じゃないなとも思います。