4回目の手術前に遺書 仁科亜季子が振り返る壮絶がん治療
治療は、抗がん剤、手術、放射線の順に行うことになり、「6カ月の長期入院」が予定されました。入院までの2週間はてんてこ舞い。自分の入院準備どころじゃありません。まずは、子供たちの夏休みをどうするかと考えて、サマースクールの資料を取り寄せて手続きを行い、家の中が張り紙だらけになるくらい指示書のようなものを張りまくり、「自分ががん?」と感傷にひたる暇などありませんでした。6カ月の予定だった入院は、私の負けず嫌いの性格もあって4カ月で退院できたのですが、つらくて長い4カ月でした。
■子供たちがいたから耐えられた
治療はまず、抗がん剤は足の付け根からカテーテルで入れるんですけど、もう、熱湯が体の中でひっくり返ったみたいな痛みでした。今は薬も改良されて楽になっているようですが、当時はつらかった。病室では、足の付け根に“おもし”を乗せられて動けなくするんです。そんな状態で3分置きに吐き気がくるものだから、顔だけ横に向けて寝たまま吐いたりしていました。しかも1度目は薬が合わず、2度もやることになって……。
抗がん剤の副作用もありました。笑っちゃうんですけど、当時は「氷のヘルメット」というものがあったんです。かぶって毛根を引き締めて、脱毛を軽減するとか……。私もかぶりましたが、効果はありませんでした。ある朝、起きたら枕が真っ黒。指で髪をすくと、何の抵抗もなくごっそり抜けてしまうんです。3日でツルツルになりました。そんな時、子供って空気を読むんですかね。「一休さんみたい」と笑ってくれて救われました。