いくら時代が変わろうと「命が一番大事」なのは変わらない
介護や医療などの社会保障費が毎年増えて国の財政を圧迫しているという報道が繰り返されています。事件はそんな最近の世相に関係しているのだろうか。障害者や生産能力のない老人は社会のお荷物なのか? 生きている価値がないというのでしょうか。
以前、障害者施設を視察したある知事が「ああいう人ってのは、人格あるのかね」と発言したという報道を目にしました。また、ある国会議員は、終末期の医療について「いいかげん死にたいと思っても、『生きられますから』なんて生かされたんじゃかなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと……」と話したという報道もありました。
■ある学生から気になる内容のレポートが…
オーストリアの精神科医、V・E・フランクルは、著書「それでも人生にイエスと言う」で、「社会に役立つことが人間の存在を測ることのできる唯一の物差しではない」「人間の生命を生きる価値のない生命とみなして、その生きる権利をはく奪する権利はだれにもない」と言っています。 今年、私はある大学の医療系学生120人に対しての講義(がん診療における患者の生と死)の中で、命は代替不可能であること、Mさんのこと、R看護師、高谷清氏、相模原事件、そしてV・E・フランクルについてお話ししました。講義の後に学生全員からリポートが送られてきて、その中で1人だけとても気になる内容がありました。