点滴が生ビールに見えて…宮路オサムさん闘病生活を振り返る
「生存率50%」
2006年4月、女房は医師にそう告げられたそうです。
その日は、コンサートが終わって帰宅後、突然背中に激痛があって、夜に女房の運転で救急病院に駆け込んだんです。自分では胆石が悪さをしているんだろうと思っていました。というのも、ちょうどその頃、友人との世間話で胆石の話になって、気になったので調べてみたら3~4個見つかったんです。でも、「痛みがないなら取らなくてもいい」と言われたばかりでした。
医師にそのことを告げて検査を受けると、確かに胆石が悪さをしていたのですが、それどころではない「急性膵炎」が分かりました。膵臓が炎症を起こして半分溶けていたとか……。
さらに判明したのが「アルコール依存症」です。61歳のその日まで、自分がアルコール依存症だとは思っていませんでした。
そこに至るまでの経緯を語るには、46年前に「なみだの操」がヒットした頃に遡ります。歌が売れたのはよかったのですが、同時に過密なスケジュールと期待される重圧にさいなまれていました。ある日、バケツ一杯の吐血をしてしまって病院に運ばれたんです。ストレスによる胃潰瘍でした。でも、手術はせずに通院しながらスケジュールをこなす日々……。体調の悪さを悟られまいと必死に歌っていました。それが「熱唱」と評されて、ますますみなさんに喜んでいただくことになったわけです(笑い)。