末期がん患者が年単位で延命 血流遮断下「温熱動注化学療法」の効果
がん治療が難しいのは必ず治るとは言えないことだ。がんの標準治療(手術、抗がん剤、放射線、免疫療法)の効果を高めるため、あらゆる医療技術を総動員した結果、ここ20年で50代以下のがん死亡率は半分以下となり、60代以上も大幅に下落した。とはいえ、がんが命に関わる重大病であることに変わりない。人によってはがんであることを受け入れ、残りの人生をどう生きるか、考えなければならない。そんな人でも希望を持ち日常生活を続けられる治療法がある。ハイパーサーミア(温熱)療法だ。この治療法で数多くの命を救い、延命の手助けを続ける、大阪大学医学部名誉教授で彩都友紘会病院(大阪府茨木市)の中村仁信院長に話を聞いた。
「私がこの治療法と出合ったのは大阪大学医学部教授を定年する間際のことです。定年後は放射線の研究者としてでなく臨床医としてがん患者と向き合うことを希望していた私は、アルバイト先の病院で驚くべき光景を目にしたのです。そこでは肝臓がんの患者さんに肝動脈血流遮断にハイパーサーミア療法を併用する治療が行われていて、普通なら助からないと思われていた患者さんの症状がみるみる改善していく。その後も多くの著効事例を経験し、これは本物だと感じました」
肝動脈化学塞栓術とは、1980年代に日本で始まった治療法だ。肝細胞がんに栄養を供給している肝動脈内にカテーテルを挿入し肝動脈内に抗がん剤と塞栓物質(ゼラチン粒)を投与して血流を遮断、兵糧攻めにしてがんを死滅させる。
正常の肝臓は門脈から80%、肝動脈から20%の割合で、栄養を補給している。ところが肝細胞がんは、ほぼ100%肝動脈から栄養を受けている。そこで、肝動脈にカテーテルを挿入することで、正常な肝細胞に対する影響を極力抑え、肝細胞がんのみを選択的に死滅させることができる。
一方、ハイパーサーミア療法は、がんの塊が42.5度以上の熱に弱いという性質を利用してがんを治療する方法。体外からがん細胞が潜む部位にラジオで使われる周波数帯の電波を流してがんの塊を加温し、死滅させる。
「そもそも動脈血流を遮断すれば、腫瘍内温度が上昇することが、実験で確認されていました。そこで肝動脈血流遮断に温熱療法を併用すれば、上乗せ効果が得られるのではないか、という考えから、一時的血流遮断下の温熱動注化学療法がおこなわれていたのです」
その効果は抜群で70代で末期の肝臓がんの男性の例では、一時的血流遮断下の温熱動注化学療法により、腫瘍マーカーが正常化。寛解(PR)になったという。
「この男性はカテーテル入れるときの2~3日のみ入院しただけであとは通院でした。余命宣告から5年半延命しました。残念ながらその後不慮の事故で亡くなりました」
血流遮断下の温熱動注化学療法は肝臓だけでなく他の深部がんにも効果がある。とくに、がんの周辺の血流が速く、それを栄養経路としている場合は良く効くという。
別の男性は手術ですい臓がんを切除したものの、肝臓に3カ所の転移が見つかった。血管内治療と温熱治療を施したところ腫瘍マーカーが正常化した。
「この男性はその後2年半も生存して海外旅行を楽しみました」
最後は骨転移から腹膜播種とがんが広がり亡くなったが、本人はもちろん家族からも感謝されたという。
この治療法は転移がんにも効果がある。乳がんが肝臓に転移した女性は血管内治療と温熱で5年以上生存し、今も元気に治療を続けているという。
「温熱療法が凄いのはがん細胞に熱を加えるだけなので副作用が少なく、原発がん、転移がん、がん種にかかわらず効果があるということです。もちろん、体の奥にある深部がんよりも体表面に近い表在性のがんの方が効果が高いことはありますが、こうした特徴から日常的にがん治療が出来るという点で、多くのがん患者さんにメリットがあります」
週1回40分の治療で再発も予防
また、この治療法には再発防止効果がある。そのことも注目すべきだと中村院長は言う。
「がんの手術では見える範囲のがんは取っても小さながんは取り残さざるを得ないケースがあります。その場合、執刀医は『(数カ月後には)再発するな』と思うものなのですが、温熱療法を施した患者さんは熱により患者さん自身の免疫組織が活性化して、小さながん細胞を殺して再発しないことがある。そのため執刀医が『ホントに再発していないの?』と驚くことがよくあります」
現在、動脈に注入できる抗がん剤は、治験が進んでいないため数種類しかない。そのため、限られた効果しか得られていないが、その種類が増えればこの治療法はさらに威力を増す可能性がある。
「温熱動注化学療法」はがん患者やその家族はもちろん、がん年齢と言われる40歳以上は知っていて損のない治療法だ。
▽中村仁信(なかむら・ひろのぶ)大阪大学名誉教授。医療法人友紘会彩都友紘会病院長。1971年大阪大学医学部卒業、1981年大阪大学微生物病研究所放射線科長、1995年大阪大学医学部放射線医学教室教授(現:同大学院医学系研究科放射線統合医学講座)、2003年大阪大学ラジオアイソトープ総合センター長、2004年大阪大学図書館長。