<17>原稿を持ち込んだ「夕刊フジ」で記者に…忙しい日々に
相手にも恵まれた。Tシャツにジーパン姿で下駄を鳴らしながら乗り込んできた風来坊を門前払いせずに受け入れたのは、当時の報道部長・藤村邦苗。のちに産経新聞の取締役編集局長やフジテレビの副社長を務める人物である。
「藤村さんは俺にとって第一の恩人だね。コネもツテもアポもなくフラッと現れたどこの馬の骨かも分からないヤツに、『おまえは変わってんなあ、普通は来ないよ、こんなところに。しかも下駄で』って笑って応対してくれた。しかも連載だけじゃ食えないだろうからって、経理部長のところにも連れていってくれて『特別に面倒を見てやってくれ』って言ってくれて……。本当にお世話になったよ」
藤村は2001年に下咽頭がんのため亡くなっている。71歳だった。
「フジテレビに顔を出した時は『俺には何にもない。俺がバカになるようなシステムになってるんだ』って盛んに言ってたから、仕事の面では不完全燃焼だったのかもしれないね。死ぬ前に呼ばれて、『なにもあげたことがなかったな』って、2本ぐらいかな、ネクタイをくれた。形見分けのつもりだったんだろうね。伊東にも遊びに来てくれたことがあった。日当たりの良い部屋で日なたぼっこをして帰っていったよ。どんなところに住んでいるのか心配だったみたいだな」
夕刊フジでは、街ネタなど小さな記事も書いた。空いている時間は音楽の仕事も入れた。忙しい日々が続いた。 =敬称略、つづく
(取材・文=二口隆光/日刊ゲンダイ)