「依存症」から抜け出すには…“目の見えない精神科医”が説く克服法の真髄
モノや行動、人間関係などにハマってしまい、自分ではやめられなくなるのが依存症。
徐々に視野が狭まる病によって32歳で完全に視力を失いながらも、精神科医として10年以上にわたって患者さんの心の病と向き合っている福場将太さんは、依存症との向き合い方について「新しい居場所探しが必要」と説きます。初の著書「目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと」(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けします。
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精神医学の中で私が最も興味を持っているのが「依存症」という病気です。
依存とは頼ること。何かに頼る、誰かに頼るというのは本来とても良いことで、依存すること全てがいけないということでは全くありません。
ただ依存の度合いが強過ぎてそれなしでは生きていけなくなってしまった場合、依存することで生じる問題があまりにも多い場合には、「依存症」という病気として治療が必要になるのです。
残念ながら、一度依存症になってしまうと「またちょうどよく頼る」ということは難しくなります。アルコール依存症の患者さんであれば、10年お酒を止めたからもう大丈夫だろうと飲み始めれば、また止まらなくなってしまうことがほとんどです。
現時点では一度緩んでしまった脳のブレーキを修理する手術や特効薬は開発されていません。
患者さんと一緒に依存症の勉強会を行っていた私は、ある時、依存症と自分の持病である網膜色素変性症が、とても似ているなと思いました。心の病気と目の病気、似ても似つかぬと思われるかもしれませんが、意外な共通点があったのです。
1つは共に不治の病であること。もう1つは、治せなくても居場所を変えることで克服できるということです。
「依存する」とは言い方を換えれば「居場所がある」ということです。
人間はみんな弱いし寂しい、色々嫌なことも起きるし、今の自分は思い描いた自分じゃない。そんな辛さや虚しさを癒してくれる居場所が誰にでも必要です。
そしてアルコール依存症の患者さんにとっては、それがお酒を飲んでいる時だったということです。
本来ならずっとその居場所にいられたら良かったのですが、残念ながらこのまま居座っては健康も生活もボロボロになってしまう。それでもなかなかお酒が止められない気持ち、ちっともおかしくありません。
あなたにとって譲れない楽しみや最愛の人の存在を思い浮かべてみてください。
そんなかけがえのない居場所を、そう簡単に捨てられますか? 明け渡せますか? 人間は支えがなければ生きていけない動物です。