奔放さも美しさも消え…観客からも見放されたセレソン
ドイツとの準決勝では前半に失点が積み重なって、ブラジルは早々と破綻してしまった。残りの時間は戦意を失ったボクサーがひたすら頭を下げて打たれ続けていたようなものだ。
試合の終盤、フレッジたちがボールを持つとブーイング、ドイツがボールをつなぐと「オーレ」という歓声が起こった。先週のこのコラムで今回のブラジル代表を「勝つことでしか愛されない代表」とぼくは表現した。セレソンはぶざまな試合でブラジルの観客からも見放されたのだ。
ブラジル人は前回の南アフリカ大会でも、ドイツを苦々しい思いで見ていた。ドイツは準決勝でスペインに敗れたが、最も良質なサッカーをしたチームのひとつだった。
一方、ブラジルは負けないチームで臨んだにもかかわらず、準々決勝でオランダに敗退した。その敗戦には差があった。また、ドイツにエジルのような若き才能が現れたことは、同年代のネイマールやガンソが代表から落ちたこともあり、ブラジル人の心を逆なでしたものだ。
現在、ブラジルのサッカー選手のほとんどは欧州リーグでプレーしている。国内リーグでプレー経験のない選手もいる。そして、欧州のある種の監督が目指す、手堅いサッカーを準備して2大会連続して敗れた。そこにはかつてのブラジルのサッカーが持っていた奔放さ、美しさの欠片(かけら)もなかった。
このベロオリゾンテでの惨劇の後、ブラジルでは自国らしいサッカーとは何かという問いかけが始まることだろう。ぼくはそれを歓迎する。
文・田崎健太(ノンフィクション作家)