現役時代は首脳陣泣かせ SB工藤新監督のわがまま“武勇伝”
■「わがまま」が服を着て歩いている
95年、FA移籍したダイエーでもそんな性格は変わらなかった。別のOBがこう言う。
「中日と戦った99年の日本シリーズはダイエーが4勝1敗で勝ったけど、(監督の)王さんは、第1戦で完封勝ちした工藤に第5戦も投げてくれと言ったら拒否されたんです。とにかくあの頃の工藤は我が物顔でしたね」
あるダイエー関係者も、当時の工藤についてこんな話をしてくれた。
「あれはダイエーが7-0ぐらいで勝っている試合でした。六回か七回だったか、マウンドで工藤がしきりに肩を回している。ベンチに戻るとコーチに向かって『そろそろ……』と言う。コーチがどうしたと聞くと『次回の登板のために(降りたい)』と。この点差なら九回まで投げると思うから、ブルペンでは誰も用意していませんよ。慌ててリリーフ登板した投手は2、3点取られました。だから工藤は、わがままが服着て歩いているなんて言われていました」
そんな工藤、西武時代は試合が終わると朝まで飲み歩き、内臓は一時、ボロボロになった。夫人の努力や食生活の見直しにより体質改善に成功。そのおかげで、プロ実働29年で47歳までマウンドに立つことができたという。