リオ目指すブラサカ代表・魚住監督 「日本は分析力で世界一」
■スーパーな選手は日本にはいません
――11年アジア選手権(兼ロンドン・パラリンピック予選)では、最終イラン戦を引き分け以上で出場権獲得の状況で残り15分の2失点でロンドン行きを逃しました。
「当時の日本代表は年齢的にも成熟してピークにあり、最強チームだったのに中国とイランに負けました。正直、これから先、チームづくりは難しいと感じました。しかしパラリンピック出場への熱い思いは消えず、12年に代表監督に就任。日本のブラサカを構築する必要性を痛感しました」
――具体的にはどういうことなのでしょうか?
「個の能力に優れている選手、スーパーな選手は日本にいません。そこで日本人の持つ自己犠牲の精神を最大限に活用しようと思いました。チーム全体でひたむきに、忍耐強く守備をしてから機を見て鋭く攻撃していく。14年世界選手権では4試合でセットプレー以外の失点はゼロ。大きな手応えを感じています」
――視覚障害の選手への指導には、いろいろ苦労があったと思います。
「最初の赴任先が盲学校だったので、言葉を通して思いを浸透させて意思の疎通を図ることの経験がありました。たとえば選手同士の距離をコンパクトに保つのに声を掛け合いながら修正していくのですが、事前に約束事を決めました。対戦国のチーム、選手分析もしっかりとやっています」
――目が見えないハンディがありながら、分析して対策を講じる。少々、意外な印象を受けました。
「目が見えないと選手たちは、どうしても得意なプレーを選択する傾向になります。なので分析しやすい。日本は、かなり対戦国のデータ蓄積が進んでおり、分析力は世界一と言えるでしょう」
――リオ・パラリンピック出場で日本には何がもたらされますか?
「ブラインドサッカー協会としては、サッカーを通じて視覚障害者と健常者が、当たり前のように『まざり合う社会』を実現するために積極的に活動しています。いろいろな活動のシンボリックな存在を日本代表が担っていると思います。日本代表がリオの大舞台に立つことで『まざり合う社会』実現の契機になって欲しいと思っています」
▽魚住稿(うおずみ・こう) 76年10月3日生まれ。東京都府中市出身。都立調布南高教員。八王子盲学校時代にブラインドサッカーと出合い、GKとしてプレー。08年に代表コーチに就任。09、11年アジア選手権や10年世界選手権などに出場。12年に代表監督に就任した。
(取材・構成 サッカージャーナリスト六川亨)