<第2回>「原流マニュアル」を生んだ挫折と飛び込み営業
27歳で新米営業マンとして一からのスタートを切ることになった。当然、陸上部だった頃とは周囲の見る目も変わった。
「あれほどのストレスがたまったことはなかった」と当時を振り返る。戸惑うことばかりだったと言うが、次第にノウハウを体得していく。
「今日は『この産業道路の端から端まで飛び込み営業に行くぞ』とアポなし営業をしまくっていました。会社から与えられたマニュアルをそのままなぞるのではなく、原流マニュアルを自分自身で作っていくことが大事ということに気付いた。お客さんからアイデアをいただくことも多かったです。営業の答えは“すべて現場”にありましたね。いかにお客さんとウイン=ウインの関係を作れるか――。そのことを常に考えていました」
陸上部をクビになった男は、社内でトップクラスの実績を誇る「伝説の営業マン」への転身に成功した。00年には「ハウスプラス中国住宅保証」という新会社の創設プロジェクトチームに抜擢された。こうした成功譚は持ち前の度胸の良さがあればこそ。だが、血気盛んな元スポーツマンゆえ、その度胸があだとなって失敗談も多かった。