広島王手に貢献 「1番田中」誕生秘話を石井コーチ明かす
石井コーチは横浜(現DeNA)での現役時代、「マシンガン打線」の核弾頭としてリーグ優勝を果たした98年、松井秀喜(巨人)と並んでリーグ最多の103得点を挙げている。
田中の1番起用は、一つの「賭け」だったようだ。石井コーチが続ける。
「開幕前、打順の中で最後に決まったのが『1番田中』でした。1番打者は試合に常時出ることができて、菊池、丸、田中というセンターラインを守る選手がいいだろうということで、オープン戦でいろいろと試した。後半あたりから、田中を起点に打線にいい雰囲気が出るようになった。2番に菊池、3番に丸と打順が固まる中で、最後は『消去法』で田中に決まりました。ショートを守りながら1番を打つのは負担がかかる。簡単には決められないことですが、他のコーチとも相談をした上で、(緒方)監督に『彼なら大丈夫でしょう』と話をしました」
首脳陣の抜擢に応えた「石井2世」の脚がDeNAを崖っぷちへと追い詰めた。