中日1位・柳裕也 母が明かした孝行息子との“二人三脚”
父親を亡くしても気丈に振る舞う柳を、薫さんは支え続けた。ひたむきにプロ野球選手を目指す息子の姿に、薫さんもまた、支えられたという。
外へ出ることがつらく感じた時期もあったが、薫さんの母、つまりは柳の祖母にも協力してもらいながら、練習から帰ってくるのを待って、温かいご飯を食卓に並べた。薫さんは「今までと変わらないように、寂しく、冷たい思いだけはさせたくなかった」と振り返る。中学1年の12月に「都城リトルシニア」に入団すると、薫さんは毎日、車で送り迎えをした。
中学3年の夏、シニアの日本代表として世界選手権に出場、最優秀投手になった柳は、全国の高校から誘いを受ける中、少年時代からテレビで見た甲子園大会での「YOKOHAMA」のユニホームに憧れがあった。
「横浜高校は野球が強いところなんでしょ? プロ野球選手になるためにも、行きなよ」
薫さんはこう言って柳の背中を押した。遠く離れることになったが横浜高の家族的なムードの中で、指導者や仲間が支えてくれていると感じていたから、寂しいとは感じなかったという。