西武・大崎も投げ飛ばされた 横綱稀勢の里の野球少年時代
そんな横綱を育てたのが、父・貞彦さんと、母・裕美子さん。中でも貞彦さんはスポーツ紙に寄せた手記で「横綱昇進はおめでとうと言うより、気の毒だ」と書くなど、独特の物言いが注目されている。大学までボクシングをやっていたようで、メディアの間でも「相撲の見識も深いし、格闘技か武道の経験者なのは間違いない」と、話題になっていた。
「お父さんはすごく厳しい印象。萩ちゃん(稀勢の里)が、試合でエラーした子のカバーに行かなかった時、それを客席で見ていたお父さんが、ものすごい大声で怒鳴りつけたことがあった。その迫力にみんながビックリしたものです。お母さんは優しい方。4年か5年の時、チームの役員として仕事をしていただきました」(前出の岩瀬総監督)
■家計のために角界入り
進学した長山中時代は、すでに180センチ、100キロという大人顔負けの体格。ここでは捕手ではなく「エースで4番」と活躍した。
稀勢の里と同じ茨城県出身のプロ野球選手、西武の大崎雄太朗(32)が言う。
「僕が所属していた竜ケ崎リトルシニアに、稀勢の里が体験入団をしに来たことがあったんです。『全国ちびっこ相撲3位』という紹介で、確かに体格は立派だった。野球の体験入団なのに、なぜか相撲大会が始まっちゃって……。ええ、全員投げ飛ばされましたよ。僕もぶつかっていったんですが、体格に差がありすぎて、ビクともしない。で、稀勢の里はそのまま帰った(笑い)。僕らも『なんだアイツ、野球しにきたはずなのに、全員投げ飛ばして帰ったぞ』って(笑い)。それっきり、二度と来なかったですね。その時点で、野球より相撲の道に進むと決めていたのかもしれません」