桑田真澄というカリスマが高校野球に物申したことの意義
桑田真澄氏が高校野球に物申した。マスターズ甲子園という高校野球のOB大会に出場予定のPL学園高OBチームの一員として、桑田氏が関西創価高との練習試合に登板した日のことである。
■「サイン盗みはダメ」
その日、桑田氏は昨今、高校球界を騒がしているいくつかの問題について私見を披露。いわく「サイン盗みはダメ」「球数制限は当然」「過密日程は球児を壊す」……すなわち桑田氏は明確な改革派であり、現在の高校野球の勝利至上主義、あるいは興行的な感動ポルノ路線に批判的なようだ。
これを高校野球史上屈指のカリスマであり、その後のプロ野球でも一時代を築いたいわば成功者が主張した、というところに私は意義深さを感じた。桑田氏は自分自身が昭和的な根性野球とサイン盗み上等の勝利至上主義の価値観の中で野球人として育ち、それで成功を収めた人物にもかかわらず、自らのたどった道のりを否定したのだ。
確かに高校野球が教育の一環であるという大前提に立って考えると、桑田氏の意見はどれも当然なものばかりだ。サイン盗みや過密日程、一人の大エースを酷使する采配などは、それが野球の観戦的な面白さや高校野球人気を支えるものであっても、教育の大義(未成年の保護)を上回るほどの強い効力はない。しかし、これまで多くのプロ野球OBは、そういう厳しい環境で野球をやってきたからこそ、どんな困難にも立ち向かえる精神力が身についた、などと自らの過去を肯定的に捉え直すことで、この問題を一蹴してきた。無理もないと思う。過去を否定してしまうと、今の自分は成り立たない。