子供たちは多くのスポーツに触れて可能性を広げて
吉田義人(元日本代表・50歳)
1987年に明治大ラグビー部のユニホームの袖に手を通した吉田氏は、燃え盛るようなラグビー人気の真っただ中、19歳でジャパンに選ばれ、日本代表でも圧倒的な存在感を放った。レジェンド吉田氏のラグビーとの出合いなどを赤裸々に語ってもらった。
秋田県男鹿市で育った僕がラグビーと出合ったのは、小学3年生の冬の時期です。近所の友達が「今日はこれで遊ぼう」と変な形状のボールを持ってきたのです。簡単なルールを聞いてから、雪の積もった田んぼで日が暮れるまでラグビーに夢中になりました。もう楽しくて楽しくて両親に頼み、ラグビースクールに入れてもらいました。
でも、僕が育ったのは父親と一緒にプロ野球・巨人戦のテレビ中継を毎日、お茶の間で見るという典型的な昭和の家庭でしたから、将来はプロ野球選手になると決めていました。
男鹿東中学に入学すると、ラグビー部がなかったこともあって野球部に入ったわけですが、全体練習後に肩を強くしたいと言う先輩キャッチャーの個人練習に付き合わされ、遠投をし過ぎたことで肘を故障してしまいました。そんな折、小学校時代のラグビー仲間から「先生に頼み込んでラグビー部をつくってもらったから一緒にやろう」と誘われ、もともとラグビーは嫌でやめたわけではなかったので、肘に負担のかからない、ボールを持って走ることが原点のラグビーに、それからは夢中になりました。