不可解な続投に二重契約…ラグビー代表監督巡る混乱の歴史
■意中のエディー就任までに16年
カーワンはNECでプレーした経験を持ち、自ら武士道を語る“日本通”だったが、07、11年と2大会続けて指揮を執ったにもかかわらず、残した実績はカナダと2大会連続で引き分けたのみ。あとは全敗だった。
それ以上に、オーストラリア(07年)、ニュージーランド(11年)という、勝てる見込みがない強豪に、変則日程を理由に実質的な二軍をぶつける“ツープラトン方式”という、悪しき前例を残した。
カーワン退任後の12年。日本代表は、ようやく“意中の人”だったエディーをHCに迎える。96年の日本代表コーチから数えて16年、宿澤が理事会で外国人監督を主張してから8年が経っていたが、就任会見でエディーはこう言った。
「W杯ではどんな相手に対しても必ずベストメンバーで臨む。来年の6月には北半球の強豪を蒸し暑い秩父宮に呼んで、日本ラグビーの歴史を変える勝利を挙げたい」
そして、エディーはどちらも実現させた。13年にウェールズを破り、15年W杯で南アフリカを破り、さらにサモア、アメリカを破ったのだ。
しかし――。
15年W杯直前に、エディーは大会終了後に日本を離れることを言明。日本ラグビーは再び混乱にたたき落とされた。