オリックス1位・宮城大弥 南風原出身52歳父の波瀾万丈人生
沖縄南部の南風原出身の父・享さん(52)は、中学3年の時、交通事故で左腕の神経を損傷したため、今も自由が利かない。
小さいころから腕力や体力には自信があり、中学時代は野球をやっていた。推薦入試で福岡の高校に合格していたが、事故で進学を断念、野球を諦めざるを得なくなった。
それから1年間の浪人生活を経て、地元の定時制高校へ入学。右手1本で、定時制のバドミントンの大会で優勝したこともある。
■5万円握りしめ
そんな享さんは、もう一つの夢を追いかけた。高校卒業後、コツコツと貯めたお金で一念発起し、単身渡米した。沖縄とロサンゼルスの往復航空運賃は当時、43万円ほどだったという。「米国で映画関係の仕事をしたかった」と話す享さんはロスに到着するや、空港で帰りのチケットをゴミ箱に捨てた。手持ちはたったの5万円。親類が営んでいたコーヒーショップでアルバイトをしながら、仕事を探した。
そんな折、コロンビア放送(現CBSテレビ)内にメーキャップの養成所があることを知り、入学した。7週間の講義を2度受け、講師として雇ってもらった。授業の傍ら、生徒集めも手伝った。ビューティーショーにも関わり、軌道に乗ってきたかと思われたが、27歳のときに実父が他界。家族のことを考え、帰国することを決断した。1994年のことである。