ロッテ和田 6人きょうだいの四男「光速王子」の野生児時代
とは、守雄さんだ。
友人に誘われ小学4年で野球を始め、市立北中では軟式野球部に所属したものの、ケガや実力不足を感じて一度は野球を諦めた。進学した県立小川高では陸上部に入部。走り幅跳びの選手として記録と戦った。しかし、野球への思いを断ち切れず、その年の冬に退部すると、高校の野球部ではなく、地元の社会人クラブチームの門を叩いた。
■高校ではファンクラブも
和田が高校2年時に担任を務めた中村博英教諭は当時をこう振り返る。
「学校ではクールで落ち着いた話し方をする生徒でした。でも、動くとダイナミック。3年間、体育祭ではぶっちぎりの走りをみせていました。そのギャップに加えて端正なルックス。密かにファンクラブのようなものもあったかと思います」
高1だった和田をチームに迎え入れた、都幾川倶楽部硬式野球団の荻野真之監督はこう言う。
「社会人チームの我々の中では当時の彼はまだ子どもでしたが、足の速さと肩の強さには目を見張るものがありました。彼の持ち味である思い切りのいいスイングを壊さないよう、特に打撃面の指導には力を入れました。チームメートが年上ばかりということもあって、率先して皆の輪に入っていくタイプではありませんでしたが、可愛がられていた。私自身、彼は娘と同い年で同じ高校ということもあり、息子のように思っています」