鈴木武蔵が語ったハングリー精神「大迫の座を脅かしたい」
札幌で点取り屋として覚醒し、初代表は19年3月のコロンビア戦。国内組で参戦した同年12月のE―1東アジア選手権の中国戦で初得点を挙げた。これまでの実績では岡崎慎司(ウエスカ)や武藤嘉紀(エイバル)らロシアW杯組よりも劣るが、ここにきて大迫追走の1番手となった。
「カメルーン戦で大迫選手を見ていて、長年日本代表の1トップを張っている存在だけあって能力は申し分ない。でも自分はその座を脅かしたい気持ちは凄くある。海外に来て、よりハングリーになれましたから」と野心をむき出しにする。
■同世代と比べられ酷評されたことも
ジャマイカ人の父と日本人の母を持つ彼は、U―16代表入りした頃から抜群の身体能力が高く評価された。が、同世代に南野拓実(リバプール)や中島翔哉(ポルト)ら足技に秀でた選手が多かったこともあり、「武蔵は足元がおぼつかない」と酷評されることも少なくなかった。
17年に半年間プレーした松本山雅時代でも、反町康治監督(現JFA技術委員長)に「ボールが収まらない」と苦言を呈され、A代表入りは夢のまた夢だった。その苦境から這い上がってきた男は決してへこたれない。