水球・野呂美咲季 マイナー競技の覚悟「引退後は自力で」
野呂美咲季(水球/24歳・秀明大学水球クラブ所属)
■父は日本を代表するスタントマン
両親は車のスタントマン。母は引退しているが、父・真治さんは現役として、数々の有名作品に出演。2014年には「藁の楯」で、日本俳優連合が主催するベストスタントマン賞の最優秀賞に輝いた。
「父の仕事を知る友人は、映画のエンドロールを見て『お父さんが出てたよ!』と教えてくれます(笑い)」
神奈川県で3人きょうだいの末っ子として生まれた野呂は、姉や兄の影響で2歳半から水泳に親しんだ。小学生の低学年時は、リオ五輪の女子競泳4×200メートルリレーに出場した五十嵐千尋(25)とチームを組んでいた。
しかし、10歳を迎える頃に成績が伸び悩み、また、信頼していたコーチの交代が重なったことから競泳を断念。水球に転向したのだが、こちらも中学に上がる際の千葉県への引っ越しが影響し、一時は競技から離れることになる。通った公立中学ではバスケットボール部に所属した。
くすぶっていた水球への思いが再燃したのは高校受験時だった。
「志望校を選ぶとき、千葉敬愛高には男子水球部があるので、そこでマネジャーでもしようかなと考えていました。受かった頃に男子水球のロンドン五輪予選が千葉県国際総合水泳場であって、母と観戦に行ったんです。その会場で千葉水球クラブの方に勧誘されて……。入っちゃいました」
同クラブは土日しか練習がない。入学後の平日は高校の男子水球部に交じって汗を流した。
「男子は20人くらいで、女子は私だけでした。男女を意識? そんなこと全くないです。水球は狭い世界なので、小学生の頃から見知った男子ばかりでしたから(笑い)。普通に男のように扱われていましたよ」
高校2年でアジアユース選手権、3年時は世界ユース選手権の日本代表に選ばれた。
高校3年時、野呂は進路に迷ったという。日本のユースチームを率いていた加藤英雄監督(当時・秀明英光高監督)が、野呂が大学に進学する2015年から、水球部が新設される秀明大の監督を務めることになっていたからだ。他大で勉強をしつつ水球に励むか、それとも加藤監督に師事するか。進路の悩みがいつしか将来の不安につながり、引退の選択すら脳裏をよぎった。
悩み抜いた末、「4年間は水球漬けの日々を送る」と腹を決め、加藤監督に電話をかけた。