通算200得点の偉業 不世出のストライカー釜本氏の瞬間は…
1981年シーズンに横浜・三ツ沢球技場で行われたフジタ(現湘南)戦では、強烈なボレーシュートがゴールの奥にあるバーに当たって跳ね返ってきた。
これを安田主審(サッカーシューズやボールを製造していたYASUDAの社長でもあった)は、手前のバーに当たったと勘違いしてゴールを認めなかった。
試合後の釜本氏は「文句を言おうとしたら安田さんが胸に手を当てて(イエローカードを出すぞ! と)脅すから大人しく黙った」そうだ。そういうやりとりが許された時代だった。
釜本氏は12節のヤマハ(現磐田)戦で2ゴール、13節の日立(現柏)戦で決勝点、14節の新日鐵戦で2ゴールと3試合連続得点で通算199ゴールまでこぎ着けた。そして迎えた15節の本田戦で偉業を達成した。
■「ワシが作ったスペースだ!」
本田戦での先制点は、楚輪氏のクロスに対してゴール中央からニアサイドに走り込んで決めたゴールだった。味方の突破に合わせ、ゴール中央かやや後ろで待ち構えることで〈ニアに意図的にスペース〉を作っておく。そしてDF陣と駆け引きをしながら機を見てスペースに走り込み、ゴールに結びつけた。