中村稔さん死去 巨人で「投手王国」を築いた伝説のコーチ
「東京ドームはグラウンドが堅いだろう。だからドームで試合があるときは多摩川のグラウンドに投手を集め、ランニングさせてから球場入りさせた」
投手の足腰の負担を軽減し、なおかつスタミナをつけさせる。そうした工夫が最多完投につながったのである。
ピッチャーのバッティング練習にも力を入れ、こんな話もしていた。
「試合の終盤、チャンスで投手に打順が回ってくると、好投しているのに(藤田)監督が代打を出すというんだ。それで代打は誰かと聞く。名前を聞いて納得がいかないと、それならピッチャーを打たせた方がいいですよ、といってしばしば監督を押し切ったんだよ」
実際、桑田や斎藤を筆頭に当時の巨人の投手はバッティングが良かった。
中村さんは80歳を過ぎても千葉にある大学の野球部や社会人野球チームで投手を指導。阪神の西勇輝やソフトバンクの岩崎翔など、中学時代に野球教室で教えた選手のピッチングをテレビで見ては気にかけていた。
ちなみに中村さんが断ったロッテ監督には藤田巨人でヘッドコーチを務めた近藤昭仁さんが就任。「アキ(近藤監督)を助けてやってくれ」と藤田さんに頼まれた中村さんは投手コーチに就任することになる。
生涯、一投手コーチを貫いたのである。
(文=荻野通久/元・日刊ゲンダイ スポーツ部長)