【柔道】73キロ級・大野将平は五輪連覇で「令和の三四郎」へ! 昭和の三四郎が「無差別級に挑戦を」
柔道男子73キロ級の大野将平(29)が26日、シャフダトゥアシビリ(ジョージア)との9分26秒に及ぶ大激戦を制し、2016年リオ五輪に続いて連覇を達成。日本男子では斉藤仁、野村忠宏らに次いで4人目の快挙となった。
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「正しく組んで、正しく投げる」
日本柔道のオールドスタイルを突き詰めてきた大野が尊敬してやまないのが、1964年東京五輪の中量級(80キロ)で金メダルを獲得し、「昭和の三四郎」の異名を持つ岡野功氏(77)だ。
岡野氏が72年に出版した「バイタル柔道」がバイブル。19年12月にナショナルトレーニングセンターで行われた男子代表合宿では、講師を務めた岡野氏から「さばき」や「崩し」といった柔道の原点を学び、「白黒、はっきりつける柔道をしなさい」と言われたことを胸に、さらなる高みを目指してきた。
岡野氏はその時の大野について、「一生懸命、話を聞いていたことが印象に残っています」と振り返る。
57年前、岡野氏は「金メダルを取って当たり前」というムードの中、大一番に臨んだ。「我々の時は、銀では負け。とにかく優勝しなければいけない。責任を果たした、という気持ちだった」と言う。今回の東京五輪については、「いろいろな考え方があると思うけれど、古い柔道家からすると、技比べではなく力比べになっていると感じますね。腰を曲げて、力任せにやっている。組み合ってもすぐに四つん這いになってね」と見る。
岡野氏の柔道は「小よく大を制す、柔よく剛を制す」にある。171センチ、80キロの中量級ながら、無差別級日本一を決める全日本選手権に挑戦。東京五輪後には、67年、69年の全日本選手権で2度優勝の快挙を果たした。
「我々の時代は体が小さくても、大きな相手と稽古や試合をしてきた。今の柔道は、階級ごとのカテゴリーの中だけで勝った、負けたとやっている。それでは先々、伸び悩むこともあるだろうし、柔道自体が廃れかねない。(170センチ、73キロの)大野君は私と体格が似ているし、今回の五輪を糧にして、『本来の柔道』というべき無差別級にぜひチャレンジしてもらいたいですね。柔道界全体のためにもなるはずです」
「平成の三四郎」故・古賀稔彦氏も果敢に挑戦
大野は過去に2度、全日本選手権に出場している。積極性を重視するルール改正などもあり、軽量、中量級選手が無差別級で勝つのは難しくなったとの声も少なくないが、岡野氏はこう続ける。
「今回、本人とは直接話はしていないが、心の中では五輪が終わったらという意識は持っていると思う。今の技ではまだ、大きいクラス相手だと課題はあるだろうし、時間がかかるかもしれないけれど、大きい相手を自分の壁として技を構築し努力していってほしいですね」
「平成の三四郎」と言われた故・古賀稔彦氏も無差別級に果敢に挑戦。90年全日本選手権では小川直也に敗れるも、準優勝を飾った。
「令和の三四郎」となるため、大野の柔らの道は続く。
柔道女子57キロ級の芳田司(25)は、3位決定戦でリパルテリアニ(ジョージア)を合わせ技一本で破り、銅メダルを獲得。「金メダルを目指していたので、悔しいです。もう絶対に銅メダルを取ってやろうと思っていました」と、悔しさを噛み殺した。