<7>富士急行に守ってもらえた現役時代と、父親が放った衝撃のひと言
スポーツの世界しか知らないと、そういう場の空気に流されがちになる。私の場合、所属していた富士急行が「岡崎はひとりの会社員なので」と言って、いろんなオファーが来る中、選別してある程度の規制をしてくれた。長野五輪で銅メダルを取った当時はまだ26歳。道をそれず、競技だけに打ち込むことができたのも、会社が守ってくれたおかげだ。
でも、それから10年近く経ったある日、実家で家族だんらんの中、私の父親は笑いながらボソッとこう言ったのだ。
「あそこ(長野)で(現役を)やめて、メディアとか芸能界入りしていれば良かったのに」
そういうのって父親は普通、心配して反対する方じゃないの? このとき私はすでに35歳。今さら言うんじゃありません!
実家は田舎。テレビに出ていれば遠くにいても姿を見られるし、ご近所さんから「今日も朋ちゃん(テレビに)出ていたよ」と言われると悪い気がしないだろう。このときすでに大会で勝てないことも増え、私がつらい思いをしているんじゃないかと心配したうえでの親心だったのかもしれない。
ただ、普段はそんなことを言う人じゃないから、家族全員びっくり。私は五輪に5大会出て海外旅行もたくさん行けたからいいでしょ、と笑い飛ばした。あ、でも父親は飛行機嫌いだったな。