“日本マラソンの父”が嘆く「駅伝王国」の本末転倒 カネ以外に開催時期の弊害
「マラソンの父」は嘆いているはずだ。
数々の名勝負を生んだ福岡国際マラソンが5日、長い歴史に終止符を打った。今大会の誕生は1947(昭和22)年。1912(明治45)年第5回ストックホルム五輪から第7回、8回大会にマラソン代表として出場した金栗四三氏の功績を称え、「金栗賞朝日マラソン」の名称でスタートした。
その大会が幕を閉じたのは、市民ランナーが気軽に出場できる大会ではなく、参加記録が厳しいエリート大会であり、費用対効果の面からスポンサーが離れ、財政難に陥ったことは、7日付の日刊ゲンダイで触れた。
だが、福岡国際が消えたのはカネだけの問題ではない。このレースの開催は12月第1日曜。それから1カ月も満たない元日には群馬でニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)がある。
■マラソンには出るな
「マラソンの疲労を取り、駅伝の調整をするには時間が足りない。マラソンで故障したら駅伝に出場できないので、『福岡には出るな』という監督や所属会社の役員もいます。一方で、3月初旬の東京マラソンは、注目度が高いし、10位まで賞金(1位1100万円)も出る。駅伝が終わってからタップリ時間もある。男子の実業団選手にとって元日の駅伝はそれぐらい重要なのです」(実業団OB)