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阿波野秀幸元プロ野球選手

1964年7月28日、神奈川県生まれ。桜丘高、亜大を経て、86年のドラフト1位で巨人、大洋(現DeNA)を含めた3球団競合の末、近鉄に入団。87年、新人王、89年は19勝(8敗)、183奪三振で最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。その後、巨人、横浜でプレー、通算75勝68敗5セーブ。引退後は巨人、横浜、住友金属鹿島、中日などでコーチを務めた。

4年連続20本塁打! 40歳で急逝した名外野手・鈴木貴久さんの思い出

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 当時、近鉄の夏場のユニホームはメッシュ素材だった。通気性をよくするために、細かい穴が無数に開いていた。暑がりの鈴木さんはずっとアンダーシャツ抜き。素肌に直接、ユニホームを着ていたから、デーゲームなどでプレーすると背中の部分も日焼けする。試合後の浴室の洗い場は体中泡だらけで、だれがだれだか分からないけれど、鈴木さんは背中の「2」の部分だけが白くなっていたからすぐに分かった。ユニホームはメッシュでも背番号の部分だけは日焼けしないからだ(背番号は1989年まで「44」、翌年から2000年までは「2」)。

 4年連続20本塁打をマークした名外野手の鈴木さんは2000年に現役を引退。翌01年から近鉄の二軍で打撃コーチを務めたが、04年5月に病気で亡くなった。40歳だった。

 口数は少なかったけれども、優しく、グラウンドの内外で頼りになる先輩だった。

 さて、2連勝が優勝の条件だったダブルヘッダー第2試合。私は1点リードの八回裏、この日2回目のマウンドに上がった。

 バッテリーを組んだのは山下和彦さん。1死後、打席にその年、首位打者を獲得した高沢秀昭さんを迎えた。 (つづく)

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