1989年日本シリーズ後のオフはシーズン中より体調が悪かった
初戦の後、5戦目に先発した私は最終の7戦目もリリーフで投げるつもりでいたし、実際にベンチで待機した。
結局7戦目は投げることなく、近鉄は5-8で敗戦。本拠地の藤井寺球場で、89年のシーズンは終わった。
試合終了は午後4時15分。当時は体のメンテナンスもしていない。普通に風呂に入って、脱力感みたいなものだけがあって……。気付いたら、ロッカールームには私と高柳出己の2人しかいなかったことを覚えている。
「終わっちゃったな……」
お互いに深いタメ息をついて、球場を後にした。
■駅長、サイン会、選手会行事、ゴルフ…
日本一にはなれなかったけれども、何しろリーグ優勝は9年ぶり。オフはイベントなどで例年以上に忙しかった。
親会社が電鉄会社だっただけに、駅長をやったり、近鉄百貨店でサイン会をしたり。運動会やマラソン大会などの選手会行事にもほとんど出席した。そういったイベントの合間にゴルフコンペもあった。イベントで前の晩遅くなっても、翌日にはゴルフ。早起きをするのはつらかった。それやこれやで練習はもちろん、体のケアもできない。この年の12月は、シーズン中より体調が悪かったくらいだ。
いったい、どうしちゃったんだろうと、肩肘の異変を感じたのは翌年の自主トレだった。(つづく)